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【いしぶみを温ねて】 北見水田発祥の地

2026年09月18日
     
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 オホーツク地方の中核都市である北見市。タマネギや麦類を中心とした道内屈指の大規模畑作地帯として知られるが、その基盤を開いたのは、寒冷な気候のなかでコメ作りに挑んだ明治の先駆者たちの執念だった。


 北見市内を流れる訓子府川にほど近い神社の境内

 オホーツク地方の中核都市である北見市。タマネギや麦類を中心とした道内屈指の大規模畑作地帯として知られるが、その基盤を開いたのは、寒冷な気候のなかでコメ作りに挑んだ明治の先駆者たちの執念だった。


 北見市内を流れる訓子府川にほど近い神社の境内、高くそびえる送電鉄塔の傍らに「北見水田発祥の地」と刻まれた石碑が静かに佇(ただず)んでいる。この碑は、1968年(昭和43)の開道100年を記念して建立されたものだ。


 その碑文が伝える歴史は、1898年(明治31)にさかのぼる。当時、北海道庁から依頼を受けた前田駒次が、初めて水稲を試作した。耐寒性品種も未発達で、「オホーツク沿岸での稲作は不可能」と目されていた時代。水温管理や冷害との闘いなど、苦労を重ねながらも冷たい水に指を浸し、試行錯誤の末に黄金色の稲穂を実らせた。


 この地域の開拓史において、幕末の志士・坂本龍馬の甥(おい)である坂本直寛らが率いたキリスト教系の入植団体「北光社」の功績が大きい。彼らは厳しい寒さと泥炭地に屈せず、水路を掘り開いて水田開発の礎を築いた。前田は北光社の3代目の支配人だった。大正期には土功組合が結成され、本格的な灌漑溝(かんがいこう)が整備されたことで、北見は一時期、オホーツク有数のコメどころへと成長を遂(と)げた。


 昭和40年代以降、生産調整や畑作への転換に伴い、水田の多くはタマネギなどの畑地へと姿を変えた。しかし、水田開拓のために整備された豊かな水利施設と、幾重もの土壌改良によって培われた肥沃な大地は、北見の強固な土台として脈々と生き続けている。


 鉄塔を背に立つ自然石の碑は、不毛といわれた大地に挑み、地域農業の可能性を切り開いた先人たちの不屈のフロンティアスピリットを今なお無言で語りかけている。


 【「北見水田発祥の地」碑】

 ▽所在地=北見市北光306 北光八幡神社内(建立時は北見市北光260)

 ▽建立年月=1968年11月

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