【いぶみを温ねて】 「寒地稲作この地に始まる」碑 北広島市
札幌市と室蘭市を結ぶ国道36号線のほど近く、北広島市の国指定史跡「旧島松駅逓所」の静寂の中に、どっしりと横たわる白御影石の銘碑が目に入る。「寒地稲作この地に始まる」と刻まれたその碑は、冷害の脅威と隣り合わせだった北の大地において、コメ作り
札幌市と室蘭市を結ぶ国道36号線のほど近く、北広島市の国指定史跡「旧島松駅逓所」の静寂の中に、どっしりと横たわる白御影石の銘碑が目に入る。「寒地稲作この地に始まる」と刻まれたその碑は、冷害の脅威と隣り合わせだった北の大地において、コメ作りの扉を開いた先達の偉業を今に伝えている。
碑文に刻まれた人物こそ、北海道における稲作開拓の父と称される中山久蔵(1828~1919)だ。現在の大阪府に生まれ、諸国をめぐった末に蝦夷地へ渡った久蔵は1873年(明治6)、この地で本格的な水田開墾へと乗り出した。
冷たすぎる川の水が大きな壁となり、当時、道央圏でのコメ作りは不可能と考えられていた。久蔵は冷たさを和らげるため川の水を温める水路を設けたほか、風呂の湯を苗代や田に注ぎ込むなどの工夫を重ねた。道南地域から取り寄せた「赤毛」の種籾は、その情熱に応えるように結実し、翌年以降も着実に収穫を積み重ねていった。
久蔵が生み出した成果は、個人的な成功にとどまらない。その知見と情熱は開拓使の農業政策をも動かし、道内の他の地域へと稲作が波及する足がかりとなった。また、自ら収穫した貴重な種籾を無償で周囲の志ある人々に分け与えただけでなく、現地に足を運んで栽培技術の普及に尽力したその姿勢は、農業基盤の形成に大きな影響を及ぼした。
幅2・7㍍、高さ2㍍におよぶ堂々とした碑には、稲穂を手にする農民の姿と久蔵のレリーフが刻み込まれている。かつて明治天皇も親しく耳を傾けたというコメ作りの軌跡は、厳しい自然環境に挑み続け、今日の豊かな北海道の礎を築いた先人の志を静かに物語っている。
【「寒地稲作この地に始まる」碑】
▽所在地=北広島市島松1番地
▽建立年月=1964年9月









