ひもとく農地史②~第一節 農地改革はじまる~ 石川県農業会議 山田修路
⑴現在の農地制度の基本的枠組みは、第2次世界大戦後に行われた「農地改革」にさかのぼる。日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、「財閥解体」「教育改革」など戦後の改革に着手したが、「農地改革」は日本人の自発的な取り組みとして、
⑴現在の農地制度の基本的枠組みは、第2次世界大戦後に行われた「農地改革」にさかのぼる。日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、「財閥解体」「教育改革」など戦後の改革に着手したが、「農地改革」は日本人の自発的な取り組みとして、かつ最も早くスタートしたものだった。
⑵なぜ、日本人の手でスタートできたのか。
戦前の農政の最重要課題の一つが「小作農の救済」だった。当時、農村では「地主・小作制」のもとで小作人の権利は弱く、収穫量の5割前後の高額な小作料(現物で納付)で苦しんでいた小作人も多かった。娘の身売りといった悲惨な話も聞かれ、小作争議が頻発した。「小作農の救済」という使命感を持って農林省に入省した職員もいた。
⑶「終戦」は、農村社会が抱えた課題を解決するチャンスでもあった。
終戦直後、「農地改革」についてGHQから何の指示もない中で、農林省のイニシアチブで要綱案が検討され、わずか3カ月後の1945年(昭和20)11月には閣議決定された。当時の農林省の大臣や職員の意気込みが、ヒシヒシと伝わってくるようだ。
農地改革法案の国会審議は地主側の抵抗もあり難航したが、GHQのマッカーサー総司令官から「農地改革の必要性」を指摘する書簡が発出され、法案(農地調整法改正案)は成立にこぎつけた(第1次の農地改革案)。
⑷ところが、この法案の成立の後、GHQに着任した米国の担当者たちがもっと厳しい措置(「在村地主の小作地保有面積」や「自作農の農地所有面積」を厳しく制限するなど)を日本側に求めた。日本側は「自作農の農地所有を過度に制限すると、農業の将来の発展を妨げる恐れがある」として抵抗し、修正がなされ、46年(昭和21)10月に、第2次の改革法案(自作農創設特別措置法など)が成立し、「農地改革」が進められることとなった。
次回は6月12日付








