ひもとく農地史③~第三節 農地法の制定~ 石川県農業会議 山田修路
⑴戦後の農地改革により、戦前からの課題であった「小作農の救済」が実現し、敗戦国日本が直面する「食糧の増産」も進んできた。農政当局は、この農地改革の成果を将来にわたって継続することが必要と判断し、1952年(昭和27)に農地法が制定された。
⑴戦後の農地改革により、戦前からの課題であった「小作農の救済」が実現し、敗戦国日本が直面する「食糧の増産」も進んできた。農政当局は、この農地改革の成果を将来にわたって継続することが必要と判断し、1952年(昭和27)に農地法が制定された。
⑵第1条で「農地は耕作者自身が所有することが最も適当であり、耕作者の農地取得を促進し、その権利を保護する」という基本的な考え方(=自作農主義)を法律の目的として規定した。
「農地の所有」と「農業経営(=耕作)」は、一体的に農家に担われるべきであり、望ましい経営体は、「自作農」だと明言した。
⑶戦後の時点で、「自作農主義」の立場に立って、農地制度を組み立てたことは、適切だった。しかし、時代が進むにつれて、「自作農主義」は、現場の実態に合わなくなっていく。
もともと、この考え方は、資本主義の下での企業的な経営とは、相容れない面がある。一般の会社組織では、会社の所有(=株主)と経営(=取締役、執行役)は別になっている。「所有と経営の分離」という考え方だ。企業は、所有者(=株主)ではなく、熟達した人に経営を委ねる方が所有者(=株主)も儲かるのだ。
⑷自作農主義は、「農地の所有」と「農業経営」の一体化を追求するものであり、「自作農主義が、農業の発展の障害になっている」といった批判が、なされることになった。これから先、何度も農地制度の見直しが行われるが、「農地改革の
成果」を維持しながら、「農地の所有」と「農業経営(=農地の利用)」の分離をいかに進めるかが大きな課題だった。
⑸農地法の具体的な内容には、①農地改革関連の「小作地の所有制限と、農地の買入れ・売渡し」の規定②戦前から取り組んできた「小作人の保護」③戦時中の「農地の権利移動・転用の統制」の規定が含まれた。戦前・戦中・戦後の農地政策を総まとめしたものとなった。
◇次回は8月14日付








