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ひもとく農地史

ひもとく農地史③~第二節 農地改革がもたらしたもの~ 石川県農業会議 山田修路

2026年06月12日

 ⑴農地改革は、不在地主の全小作地と、在村地主の1㌶(北海道は4㌶)を超える小作地を国が買収する。自作地であっても3㌶(北海道は12㌶)以上は、国が買収する。この大がかりな改革は、1947年(昭和22)3月にスタート、驚くほどのスピードで進

 ⑴農地改革は、不在地主の全小作地と、在村地主の1㌶(北海道は4㌶)を超える小作地を国が買収する。自作地であっても3㌶(北海道は12㌶)以上は、国が買収する。この大がかりな改革は、1947年(昭和22)3月にスタート、驚くほどのスピードで進んだ。2年間で、全国の農地の3分の1に当たる190万㌶が475万戸の農家(総数の約8割)に開放された。

 戦前は、農地の5割近くが小作地であったが、農地改革によって、1割以下となった。この農政史上の一大事業を担当したのが、農業委員会の前身の農地委員会だった。

 ⑵農地改革の結果、自作農が増え、食料増産の意欲が高まり、農産物の生産量は増加し、飢えに苦しむ戦後の食料難を克服できた要因の一つになったことは疑いない。終戦後10年を経た55年(昭和30)、コメの生産量は、過去最高の1200万㌧に達した。

 ⑶一方、農村集落では狭小な自作農地が、所有者が別々のまま分散して存在する状況を作り出した。「農地改革」が、「零細」「分散(さく)()」という日本の農業のありさまを規定することとなった。

 多数の小規模農業者の生産性は概して低く、高度経済成長が進む中で他産業に比べて所得が少ないという課題に直面することとなった。

 農業政策の面でコメなどの土地利用型農業は「農業構造の改善」や農地の集積による規模拡大が課題となった。一方、果樹や畜産など付加価値の高い農業を振興する「選択的拡大」と呼ばれる政策があわせて推進された。

 ⑷「農地改革さえ実施しなければ、日本の農業は大規模で生産性の高い農業として発展できたはずだ」という人もいる。しかし、戦前・戦中の課題の解決、「小作人の救済」はどうしても必要であった。農地改革という土台を前提に、新たな課題を乗り越え、日本農業を発展させることが、われわれの使命だ。

 

次回は7月10日付

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