1992年(平成4)、42歳のとき、それまで続けていた酪農をやめました。


 この頃には、請負耕作から農地貸借へと、ぼちぼち農地流動化が進み始め、組合の経営面積は、作業受託と合わせて約50㌶規模になっていました。


 そろそろ稲作1本でも経営が成

 8月。稲が、葉や茎から穂へと全てを注ぎ込む時期に入った。期待と不安が交錯する。


 期待は、粛々と積み上げてきた管理作業の答えがいよいよ出ること。不安は天候や台風もさることながら、作物が適期に良い状態で収穫されるかどうかだ。


 昨年の収穫が終わ

 今日、多くの農業経営では変形労働時間が導入されていると思います。ただ、純粋に労働基準法に定める変形労働時間制を導入しているところは少ないのではないでしょうか。雨が降って播種の時期がずれれば収穫が数週間ずれ込む、水温が15度以上にならないと

 1974年(昭和49)、ライスセンターの完成とともに、神扇機械化利用組合が誕生しました。翌年、育苗ハウスと容量10㌔㍑の地下燃料タンクを埋め込んだ軽油スタンドも敷地内に完成しました。

 圃場整備では、当時は珍しい1㌶以上の大区画圃場も登場し

作って卸して終わりではない


 6月上旬、東京都内のスーパーで試食販売会を行いました。当日は、鹿児島県産にんにくを使った焼き肉のたれやにんにく調味料などの商品を店頭で紹介しました。私が今でも店頭に立ち続ける理由は、商品を直接お客さまに伝えられる

 2025年農林業センサスの担い手データが全国、地方別そして都道府県別で発表されています。私の研究所では、個人農家の基幹的農業従事者データを使い、独自に開発した予測プログラムにより分析をしてみました。男女年齢階層別の現状だけでなく、現状推移

 神扇地区の構造改善事業は、誰もが困っていた圃場の排水施設の建設が最大の懸案事項でした。


 また、江戸時代に掘られた多くのクリークを埋め立てて最低30㌃の区画に整備する圃場整備事業も行われました。


 通常は、土地改良事業で自作地面積が減ることが

 前回、生産者からの「雇用するなら仕事を作らないといけない」という言葉に引っ掛かったという話をしました。農業は、季節による繁閑の差が大きく、冬になれば農作業そのものが少なくなり、仕事がない時期もあります。雇用していたらそんな時どうするのか、


 田植えが終わった6月。ひと段落して一息つきたいところであるが、自然栽培の田んぼ作業として最も忙しいシーズンの到来である。それというのも、中耕除草が始まるからである。


 中耕除草とは、田植え後に条間の表土を耕すこと。雑草を減らし、土を耕すこと

 皆さん、ハインリッヒの法則をご存じでしょうか。労働災害の分野で最もよく知られている事故の発生確率に関する法則です。2024年、農作業中死亡事故数は287人でした。


 死亡事故というのは、もっとも悲しい事故で、これ以上のものはありません。この

 戦後の農地解放もあり、私が生まれた1951年(昭和26)当時、自作地は約3㌶程度になっていました。それでも当時は大きいほうで、幼少期は農作業に従事する住み込みの方が数人いた記憶があります。


 しかし、高度成長期に入ると東京の労働力需要が急増

 先日、生産者さんの圃場巡回を行った。弊社は、自社圃場もあるが、会社の中に生産組合をつくり、そこに所属している地域の農家さんたちと一緒にサツマイモの栽培もしている。そこで作られたサツマイモは、規格外含め全量買い取り、全量加工をする。また肥料

 先日、代官山にて「宮沢賢治の詩とウェルビーイング――『ほんとうのさいわい』を問う」と題した朗読会に参加した。心に残ったのは、「ほんとうのさいわいとは何だろう」という問いと、賢治が描く「青」。その余韻を抱えたまま田んぼに立った。ちょうど今年

 幸手(さって)()は、江戸時代に日光街道の宿場町として栄えた、人口約5万人の街ですが、私の生まれ育った市東部の神扇地区は、今も水田の広がる農業地域です。


 かつては沼地だった場所で、江戸時代、クリークを掘りながら周囲に盛り土して農地を造

 前回書いたように、農業経営において、何とか社労士としてかかわれないかと考え始めて、最初に取り組んだことが「労災加入」を勧めることでした。


 労災保険制度を農業者に勧めるには二つのアプローチがありました。①雇用しているところに向けての通常の労