外敵防除が一段落すると、アイガモの多面的な効果が見えてきました。それまで、ほぼ3年に1回受けていたウンカ被害がなくなりました。雑草だけでなく害虫も、アイガモのエサになり、そのふんが稲の養分になる。邪魔者だったはずの雑草や害虫が、資源に変わ

 電気柵に出合った私は、帰宅後すぐに、その電気柵メーカー、末松電子製作所に電話をしました。熊本県八代市の会社で、社長の末松弘さんは「平場で犬対策に使うのは、あなたが初めてですたい」と言いながら、製品を送ってくれました。

 早速アイガモのいる田

 8月初旬、中干しのため田んぼの水を落とした翌朝、大変なことが起きました。いつものように畦に立ってアイガモを呼んでも返事がありません。おかしいと思ったその時、2匹の野犬が高さ1.5㍍の網を飛び越え悠然と去って行きました。田んぼのあちこちにア

 土づくりが安定し、徐々に有機農業の面積を拡大しました。販売も、グループ出荷から、セット野菜と卵を会員宅に直接届ける「提携」に切り替えました。

 当初は15軒程度でしたが、口コミで顧客が増え、1985年には約50軒、90年頃には約100軒にな

〇無肥料・無農薬・無収穫」からの出発


【土づくりに明け暮れた】

 島本先生の講習会で、土づくりが最大の技術と学んだとはいえ、現実はそう簡単ではありませんでした。

 講習会で「帰ったらすぐ車を売って、そのお金で堆肥舎とショベルローダーを買いなさい。

大先輩との出会い

 1970年(昭和45)、(くす)の若葉がきれいな春、希望にあふれて熊本大学理学部数学科に入学しました。

 しかし、教養課程で学ぶうち、改めて農業の社会的な意義を考えたくなり、1年で中退して九州大学農学部に入り直しました。

 

〇原風景

 幼少期の話をしましょうか。私の原風景で、私の農業の原点でもある1950年代の村の記憶です。

 生まれ育ったのは、福岡県桂川町寿命地区。水田の広がる小さな集落で、わが家も2㌶の水田で米麦と野菜を作り、自給的な生活をしていました。

 役牛

試行錯誤の連続

 1977年(昭和52)に完全無農薬有機農業をめざして農業を始めてから、50年近くになります。

 学生時代、有吉佐和子さんの『複合汚染』やレイチェル・カーソンさんの『沈黙の春』を読み、志だけは高いスタートでした。

 とはいえ、当時

任期中痛感したこと

 今年3月、2期6年間務めた長野市農業委員会長を退任しました。9年間、農業委員会活動にかかわる中で、感じたことがあります。

 2015年の法改正で、農業委員会の重点業務が「農地利用の最適化」とされましたが、その体制整備も農業

〇地域計画が法定化

 基盤整備後の換地業務で四苦八苦していた2020年(令和2)、長野市農業委員会の会長になり、21年には、県農業委員会協議会の会長も兼務になりました。

 「人・農地プラン」が「地域計画」として法定化されたのは、その翌年です。2