父を説得し、㈲グリーンを設立したのは、1984年(昭和59)。25歳のときです。法人化は、全国でもかなり早かったと思います。
国の補助事業で設立された岩塚生産組合が農業機械やライスセンターを所有したまま、グリーンは、同組合を傘下にいれ、組
1978年(昭和53)、岩塚生産組合のオペレーターになると同時に、父から「食費とガソリン代は家で出すが、あとは自分で稼げ」と告げられました。実家暮らしで、田植え・稲刈りのオペレーター収入があれば、確かに生活費には困りませんでした。
余談で
大規模開発が始まる
1960年(昭和35)、父が30㌃の水田を借りて稲作を始めた頃は、まだ農地流動化のスピードが遅かった時期です。状況を変えたのは、64年に始まった越路原台地の新田開発でした。
越路原台地は、旧越路町と小千谷市にまたがる約2
借地で経営基盤作る
私が経営する㈲グリーンは、新潟県長岡市の旧越路町にあります。前身は、父たちが設立した機械利用組合「岩塚生産組合」です。1984年(昭和59)、25歳のときに、父を説得し、同組合を傘下に入れる形で法人設立に踏み切りました。
私が父から機械利用組合「神扇農業機械化センター」の経営を引き継いで、今年で31年。43歳のときでした。息子も40歳を過ぎ、そろそろ経営移譲の時期かと思っています。
父たちが同センターを立ち上げたばかりの1970年代には、転作品目として、麦
近年、農水省が稲の直播技術の普及に力を入れていますが、直播栽培自体は新しい技術ではありません。1960年代の高度成長期に田植えの労働力が不足し、その対策として農水省が乾田直播を推進しました。当時はわが家も、田植えの労働力不足から乾田直播に
ご存じのように、トヨタ方式の「カイゼン」は、すでに製造業界では広く活用されています。もちろん、工業と農業では違いはありますが、どちらも生産現場があり、社員教育が重要という点は共通しています。
トヨタでは、「カイゼン」の手法を農業経営の現場
2002年(平成14)に法人化し、長男が就農した頃から、急激に農地集積のスピードが速くなりました。
一方で、組合設立当初の組合員の方たちが高齢を理由にオペレーターを引退し、数年後、全員がいなくなった段階で雇用を始めました。
雇用型への転換
2002年(平成14)、神扇機械化利用組合を㈲神扇農業機械化センターに改組しました。長男の就農を控え、世代交代と雇用型経営への転換を視野に入れた法人化でした。
もともと組合員から出資金を募らず、事務所の敷地も船川家所有で、借入金も全額返済
1992年(平成4)、42歳のとき、それまで続けていた酪農をやめました。
この頃には、請負耕作から農地貸借へと、ぼちぼち農地流動化が進み始め、組合の経営面積は、作業受託と合わせて約50㌶規模になっていました。
そろそろ稲作1本でも経営が成
1974年(昭和49)、ライスセンターの完成とともに、神扇機械化利用組合が誕生しました。翌年、育苗ハウスと容量10㌔㍑の地下燃料タンクを埋め込んだ軽油スタンドも敷地内に完成しました。
圃場整備では、当時は珍しい1㌶以上の大区画圃場も登場し
神扇地区の構造改善事業は、誰もが困っていた圃場の排水施設の建設が最大の懸案事項でした。
また、江戸時代に掘られた多くのクリークを埋め立てて最低30㌃の区画に整備する圃場整備事業も行われました。
通常は、土地改良事業で自作地面積が減ることが
戦後の農地解放もあり、私が生まれた1951年(昭和26)当時、自作地は約3㌶程度になっていました。それでも当時は大きいほうで、幼少期は農作業に従事する住み込みの方が数人いた記憶があります。
しかし、高度成長期に入ると東京の労働力需要が急増
幸手(さって)市(し)は、江戸時代に日光街道の宿場町として栄えた、人口約5万人の街ですが、私の生まれ育った市東部の神扇地区は、今も水田の広がる農業地域です。
かつては沼地だった場所で、江戸時代、クリークを掘りながら周囲に盛り土して農地を造
近年アイガモ・ロボットが登場しました。アイガモ・ロボットは除草のみの単一機能技術。アイガモ水稲同時作は、稲作と畜産の創造的統一。「一鳥万宝」の世界、いのちとの触れ合いの技術です。
スマート農業に限らず、近代の農業技術は、いかに省力化して収