農業近代化の光と影 桂川町・古野隆雄氏②


〇原風景
幼少期の話をしましょうか。私の原風景で、私の農業の原点でもある1950年代の村の記憶です。
生まれ育ったのは、福岡県桂川町寿命地区。水田の広がる小さな集落で、わが家も2㌶の水田で米麦と野菜を作り、自給的な生活をしていました。
役牛
〇原風景
幼少期の話をしましょうか。私の原風景で、私の農業の原点でもある1950年代の村の記憶です。
生まれ育ったのは、福岡県桂川町寿命地区。水田の広がる小さな集落で、わが家も2㌶の水田で米麦と野菜を作り、自給的な生活をしていました。
役牛にスキを引かせて耕起・代かきし、田植えは、もちろん手植え。家族以外にも筑後地方から来てくれる数人の「田植えさん」も加わり、14~15人で田植えしたのを覚えています。その日はご馳走の日でもあり、必ず鶏を3羽しめてみんなで食べました。
稲刈りや脱穀も家族総出。忙しかったけれど、みな陽気でにぎやか。私の記憶には明るく楽しい光景として刻まれています。
村は五つの池と用水路に囲まれ、田んぼや用水路や池には、フナ、ハヤ、ドジョウ、エビなど、湧くように魚がいて、小学校時代の絵日記は、いつも魚捕りでした。他にも、トンボ、セミ、チョウ、クモ、タマムシ、ミノムシ、アリ、ヘビ、トカゲ…。春夏は川で魚を捕り、秋冬は山で鳥を捕り、まさに夢の幼年時代でしたね(笑)。
〇農村風景の変容
60年代、その農村風景が大きく変わりました。最初に登場したのが耕運機。わが家も牛を手放して耕運機を買い、牛ふん堆肥は化学肥料に代わりました。
そのうち耕運機がトラクターに代わり、田植えには田植機、稲刈りにはバインダー、害虫防除や除草には農薬が登場しました。
仕上げは、70年代の基盤整備。田んぼは30㌃区画の長方形に、用排水路は3面コンクリート貼りになりました。おかげで、農作業は楽になる一方、田んぼや池や川の魚が死に、他の生き物もどんどん消えていきました。
農業機械の購入費用を稼ぐため、換金作物の生産や農外労働が必要になり、それまで自給中心だった人々の暮らしも大きく変わりました。
農業の近代化は、人間の労働を石油エネルギーに限りなく置き換えることです。それが、農作業の省力化と物質的な豊かさをもたらしたのは事実ですが、今振り返ると、失ったものも多かった気がします。
モノやカネを得ることに追われ、便利なものを使えば使うほど、暮らし全体はかえって忙しくなり、なにより生き物のいない田んぼも川も農業も面白くなくなっていきました。
構成 榊田みどり








