ご存じのように、トヨタ方式の「カイゼン」は、すでに製造業界では広く活用されています。もちろん、工業と農業では違いはありますが、どちらも生産現場があり、社員教育が重要という点は共通しています。


 トヨタでは、「カイゼン」の手法を農業経営の現場

 2002年(平成14)に法人化し、長男が就農した頃から、急激に農地集積のスピードが速くなりました。


 一方で、組合設立当初の組合員の方たちが高齢を理由にオペレーターを引退し、数年後、全員がいなくなった段階で雇用を始めました。


 雇用型への転換

 2002年(平成14)、神扇機械化利用組合を㈲神扇農業機械化センターに改組しました。長男の就農を控え、世代交代と雇用型経営への転換を視野に入れた法人化でした。


 もともと組合員から出資金を募らず、事務所の敷地も船川家所有で、借入金も全額返済

 1992年(平成4)、42歳のとき、それまで続けていた酪農をやめました。


 この頃には、請負耕作から農地貸借へと、ぼちぼち農地流動化が進み始め、組合の経営面積は、作業受託と合わせて約50㌶規模になっていました。


 そろそろ稲作1本でも経営が成

 1974年(昭和49)、ライスセンターの完成とともに、神扇機械化利用組合が誕生しました。翌年、育苗ハウスと容量10㌔㍑の地下燃料タンクを埋め込んだ軽油スタンドも敷地内に完成しました。

 圃場整備では、当時は珍しい1㌶以上の大区画圃場も登場し

 神扇地区の構造改善事業は、誰もが困っていた圃場の排水施設の建設が最大の懸案事項でした。


 また、江戸時代に掘られた多くのクリークを埋め立てて最低30㌃の区画に整備する圃場整備事業も行われました。


 通常は、土地改良事業で自作地面積が減ることが

 戦後の農地解放もあり、私が生まれた1951年(昭和26)当時、自作地は約3㌶程度になっていました。それでも当時は大きいほうで、幼少期は農作業に従事する住み込みの方が数人いた記憶があります。


 しかし、高度成長期に入ると東京の労働力需要が急増

 幸手(さって)()は、江戸時代に日光街道の宿場町として栄えた、人口約5万人の街ですが、私の生まれ育った市東部の神扇地区は、今も水田の広がる農業地域です。


 かつては沼地だった場所で、江戸時代、クリークを掘りながら周囲に盛り土して農地を造

 近年アイガモ・ロボットが登場しました。アイガモ・ロボットは除草のみの単一機能技術。アイガモ水稲同時作は、稲作と畜産の創造的統一。「一鳥万宝」の世界、いのちとの触れ合いの技術です。


 スマート農業に限らず、近代の農業技術は、いかに省力化して収

ホウキングの仕組み 

 乾田直播で考案した手作り株間除草技術「ホウキング」の仕組みは、図のようになります。試してみると畑作でも有効でした。

 毎年耕している畑では、雑草は一年生なので、作物が芽を出した時期だけは、雑草より作物のほうが丈夫です。雑

最大の課題

 アイガモ水稲同時作は、労働時間の4割を、田んぼに電気柵と網を張る「囲い込み」作業が占めていました。そこで、網の使用をやめてアゼ波シートと電気柵を張りっぱなしにして永年設置すると、かなりの省力化になり仕事が楽になりました。

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 外敵防除が一段落すると、アイガモの多面的な効果が見えてきました。それまで、ほぼ3年に1回受けていたウンカ被害がなくなりました。雑草だけでなく害虫も、アイガモのエサになり、そのふんが稲の養分になる。邪魔者だったはずの雑草や害虫が、資源に変わ

 電気柵に出合った私は、帰宅後すぐに、その電気柵メーカー、末松電子製作所に電話をしました。熊本県八代市の会社で、社長の末松弘さんは「平場で犬対策に使うのは、あなたが初めてですたい」と言いながら、製品を送ってくれました。

 早速アイガモのいる田

 8月初旬、中干しのため田んぼの水を落とした翌朝、大変なことが起きました。いつものように畦に立ってアイガモを呼んでも返事がありません。おかしいと思ったその時、2匹の野犬が高さ1.5㍍の網を飛び越え悠然と去って行きました。田んぼのあちこちにア

 土づくりが安定し、徐々に有機農業の面積を拡大しました。販売も、グループ出荷から、セット野菜と卵を会員宅に直接届ける「提携」に切り替えました。

 当初は15軒程度でしたが、口コミで顧客が増え、1985年には約50軒、90年頃には約100軒にな