父の他界で組合長に 幸手市・船川 由孝⑤
1992年(平成4)、42歳のとき、それまで続けていた酪農をやめました。
この頃には、請負耕作から農地貸借へと、ぼちぼち農地流動化が進み始め、組合の経営面積は、作業受託と合わせて約50㌶規模になっていました。
そろそろ稲作1本でも経営が成
1992年(平成4)、42歳のとき、それまで続けていた酪農をやめました。
この頃には、請負耕作から農地貸借へと、ぼちぼち農地流動化が進み始め、組合の経営面積は、作業受託と合わせて約50㌶規模になっていました。
そろそろ稲作1本でも経営が成り立ちそうなメドが見えてきたことが理由のひとつでしたが、実は、個人的にも大きな出来事がありました。
この年、白血病で入院していた長女が他界したのです。その3年後に、父も他界しました。私にとって40代前半は、試練の時期でした。
父に代わって私が神扇機械化利用組合の組合長に就任しました。設立当初は12人だった組合員も、高齢化による離脱で4~5人に減少し、しかも後継者のいる人は皆無でした。
当時は6千万円近い負債があり、その責任も背負う立場になりました。もっともこの頃には、組合の経営の形がほぼ整い、その意味では、父はやれるだけのことをやり切ってから、私に託してくれたのだと今は思います。
私自身、それまで14年間、酪農と稲作オペレーターをやりながら、組合の経営内容の把握や、稲作技術や経営について学ぶ準備期間を十分に持つことができました。
この年、100馬力のトラクターを購入しました。土地改良の苦労と農機の変遷については、次回、詳しくお話しますが、最大の目的は、規模拡大に対応できる作業効率の向上でした。
それまでの30馬力、65馬力の2台とは比べものにならない100馬力6気筒のトラクターは、1台で50㌶規模の耕運が行えるパワーがあり、作業効率は目に見えて上がりました。
ところが、乗っている私のほうが体調を崩しました。当時のトラクターはサスペンションがなく、連日、長時間のトラクター作業で、振動による重度の胃炎を患ったのです。
その経験があるため、以後、トラクターを購入するときは、思い切って一番グレードの高いものを選ぶようになりました。
ただでさえ農機は高いので、なるべく節約したくなりますが、そこをケチると肝心の人間に負担がかかりかねません。スタッフの労働環境を考えれば、必要な投資だと考えています。
構成 榊田みどり










