機械利用組合から企業型経営へ 幸手市・船川 由孝①


幸手市は、江戸時代に日光街道の宿場町として栄えた、人口約5万人の街ですが、私の生まれ育った市東部の神扇地区は、今も水田の広がる農業地域です。
かつては沼地だった場所で、江戸時代、クリークを掘りながら周囲に盛り土して農地を造
幸手市は、江戸時代に日光街道の宿場町として栄えた、人口約5万人の街ですが、私の生まれ育った市東部の神扇地区は、今も水田の広がる農業地域です。
かつては沼地だった場所で、江戸時代、クリークを掘りながら周囲に盛り土して農地を造成してきた歴史があります。今もクリークが約400本もあり、私が生まれた頃までは、苗運びや収穫後の稲運びに船が使われていたようです。
実は、江戸時代の開墾作業の中心にいたのが船川家。私の先祖です。もともとは隣接する平須賀地区に本家があり、そこから開墾に通ったと聞いています。
なので、戦前の祖父の代までは20㌶程度の地主で、父の代に終戦を迎え、農地解放で大半の農地を失いました。しかも父は次男で、長男の戦死によって、急きょ、家と農業を継ぐことになったので、苦労も多かっただろうと思います。
この地区で、国の構造改善事業を活用して機械利用組合「神扇機械化組合」が設立されたのは、1974年(昭和49)。父が事業の発起人として地域の合意をまとめ、土地改良事業で30㌃~1㌶区画への圃場整備が行われ、12人ほどの組合員で約25㌶を経営する集落営農スタイルから出発しています。
その後、95年に父が他界したのを機に、父を継ぐ形で私が同組合理事長になり、2002年の法人化を経て現在に至ります。
現在は、協業体制ではなく有限会社として正社員を5人雇用し、水田約120㌶を経営し、主食用の特別栽培米や米粉用米など水稲5品種と水稲種子・苗も生産・販売しています。
神扇機械化組合が設立された1974年当初は、全国各地に同じような機械利用組合が誕生しましたが、現在も残っているのは、市内では私たちの組織だけになりました。
ただし、経営スタイルや経営内容は、この間、ずいぶん変わりました。これまでのわが家と地域の農業の変遷とともに、改めて振り返ってみたいと思います。
構成 榊田みどり
船川 由孝さん(75)
1951年埼玉県生まれ。69年農業高校卒業後に就農。74年、地元地区で集落営農組織「神扇機械化組合」が設立され、95年、父の他界と同時に理事長就任。2002年「神扇農業機械化センター」として法人化。現在、幸手市農業委員会会長、約120㌶で水稲生産。17年産業功労分野で知事表彰。23年優良経営体表彰経営局長賞。25年緑白授有功章








