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連載

つれづれ農日記

【米農家の根っこのある暮らし】 「ほんとうのさいわい」とは 西岡智子氏

2026年07月10日

 先日、代官山にて「宮沢賢治の詩とウェルビーイング――『ほんとうのさいわい』を問う」と題した朗読会に参加した。心に残ったのは、「ほんとうのさいわいとは何だろう」という問いと、賢治が描く「青」。その余韻を抱えたまま田んぼに立った。ちょうど今年

 先日、代官山にて「宮沢賢治の詩とウェルビーイング――『ほんとうのさいわい』を問う」と題した朗読会に参加した。心に残ったのは、「ほんとうのさいわいとは何だろう」という問いと、賢治が描く「青」。その余韻を抱えたまま田んぼに立った。ちょうど今年最後の代かきの日だった。


 田んぼに張られた水面には空が映り、大地と空の境界が静かにほどけていく。そんな景色を見ながら、「あわい」という言葉が心に浮かんだ。空の青でもなく、水の青でもない。その二つが溶け合う、名付けることのできない青。あわい。


 私は昔から、その青に心を動かされてきた。風が吹く。鳥が鳴く。水面が揺れる。その景色の中にいると、私も静かにほどけていく。


 ふと思う。賢治が描いた青も、こんな青だったのかもしれない。空と大地。人と自然。私とあなた。その「あわい」に広がる青。


 考えてみると、花園創もまた、そんな場所なのだと思う。農家でも宿でもあり、学びの場でもある。けれど、そのどれかひとつではない。訪れる人たちもまた、それぞれ異なる目的を持ちながら、同じ空を見上げ、同じ風を感じている。すると少しずつ何かがほどけていく。田んぼに立ちながら。みんなで食卓を囲みながら。いのちの響き合う音に耳を澄ませながら。


 「ほんとうのさいわい」とは――。今も答えはわからない。けれど、空と水が溶け合う景色を眺めながら、その問いを抱いて生きる時間そのものが、さいわいなのかもしれない。今年最後の代かきの日。空と水のあわいの中で、そんなことを思った。


 今年の秋、この朗読会が花園創で開かれる。あの問いが、あの青が、どのように響き合うのか。今から楽しみにしている。


◇次回は8月14日付

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