実りのときを迎えて momo farm 栃木・大田原市 西岡智子氏
消費者と生産者
今年の秋は、雨に足止めされることが多く、田んぼが乾くのを待っては刈り、また雨が降っては待つ。稲穂の様子を見ながら、ゆっくり進む稲刈り。
毎年お米をつくっていても、同じ年はひとつもない。そんな収穫の最中、「米価急落」というニュ
消費者と生産者
今年の秋は、雨に足止めされることが多く、田んぼが乾くのを待っては刈り、また雨が降っては待つ。稲穂の様子を見ながら、ゆっくり進む稲刈り。
毎年お米をつくっていても、同じ年はひとつもない。そんな収穫の最中、「米価急落」というニュースが聞こえてきた。昨年は「お米が高い」と言われ、今年は「安くなった」と言われる。そんなニュースを見ながら、最近、気になっている言葉がある。
「消費者」と「生産者」――。
私はお米をつくっているから「生産者」と呼ばれる。けれど、私だって毎日、誰かがつくったものを食べ、使い、暮らしている。そして、うちのお米を食べてくれる人たちの顔を思い浮かべると、その人たちを「消費者」と呼ぶことに違和感がある。本当に私たちは、そんなふうに二つに分かれているのだろうか。
10月半ば、稲刈りが終わりを迎える頃、momofarmの庭先で小さな収穫祭をひらく。マーケットには、新米や焼き芋、お米のクレープ、猪{{しし}}鍋、甘いお菓子、そして自然に寄り添った手しごとの品々が並び、美しい音楽が流れる。
1年、田んぼとともに過ごしてきたこと。今年も実りを迎えられたこと。そして、お米を通して、たくさんの人と出会えたこと。そんなすべてに感謝を込めて、食べて、話して、笑い、今年の実りをみんなで味わう。
分けるのではなく一緒に
そこには、お米をつくる人、食べる人、という垣根はない。あるのは、静かに広がる稲刈り後の田んぼの風景と、豊かな実りと、みんなの笑顔。しあわせで、心地いい。ただ、それだけ。
つくる人と食べる人。本当は同じ、食の、いのちの循環の中にいる人たち。
その間を分けるのではなく、どうしたら一緒に田んぼの未来をつくっていけるのか。今、私は田んぼの中で、そのことを考えている。
◇次回は11月13日付








