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農地ゼロからの出発 長岡市・平石博①

2026年10月02日
     
平石博氏
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借地で経営基盤作る


 私が経営する㈲グリーンは、新潟県長岡市の旧越路町にあります。前身は、父たちが設立した機械利用組合「岩塚生産組合」です。1984年(昭和59)、25歳のときに、父を説得し、同組合を傘下に入れる形で法人設立に踏み切りました。


借地で経営基盤作る


 私が経営する㈲グリーンは、新潟県長岡市の旧越路町にあります。前身は、父たちが設立した機械利用組合「岩塚生産組合」です。1984年(昭和59)、25歳のときに、父を説得し、同組合を傘下に入れる形で法人設立に踏み切りました。


 87年に始まった特別栽培米制度を機に直販に乗り出し、現在は、米50㌶、ソバ9㌶の他、お客さまのニーズに応える形で、イチゴ、トウモロコシ、サトイモなども生産・直販しています。


 また、旧越路町の仲間と「越路コシヒカリ栽培研究会」を結成し、ECサイトと契約して同研究会の米の集荷販売も行っています。


 ただし、50㌶規模といっても、圃場は約600筆に分散し、地権者の方は約200人もいます。もともと平石家には所有農地がなく、父の信一郎が、ゼロから借地で経営基盤を作ってきた経緯があります。


 私が生まれる前の父は、主に杜氏{{とうじ}}として生計を立て、戦後、平石家の本家が岩塚農産加工場(現・岩塚製菓㈱)を創業してからは、同社の工場長として働いていました。


 60年に会社を退職し、30㌃の水田を借りて稲作を始めたのが、弊社の農業の出発点です。私が生まれた翌年のことです。


逃げたくなったことも


 高度成長期に入って徐々に農地の流動化が始まり、私が小学校に入学した頃には約1㌶、77年に岩塚生産組合を立ち上げたときは、すでに10㌶を超える大規模農家になっていました。


 雇用のない家族経営で、規模拡大とともに、母はもちろん、長男だった私も物心ついた頃から農作業に追われ、農業から逃げたくなったこともあります。


 法人化を機にそんな家族農業から脱却し、大学の農学部生だった弟と二人三脚で、会計や圃場管理の農業用ソフトを経営に導入し、きちんと利益を出し、雇用者にもやりがいを持って働いてもらえる経営をめざしてきました。


 昨年、息子に経営移譲したのを機に、これまでを振り返ってお話ししたいと思います。


構成 榊田みどり


平(ひら)石(いし) 博(ひろし)さん(67)

 1959年新潟県生まれ。元新潟県農業法人協会会長。農業高校、県農業教育センター(現・新潟県農業大学校)を経て、78年に就農。84年、㈲グリーン設立。農業用ソフトを駆使した栽培管理・直販に乗り出す。2017年全国稲作経営者会議会長(~21年)。同年、日本農業賞最優秀賞。25年農水省優良経営体表彰経営局長賞、新潟県知事賞。

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