グリーンの設立と産直開始 長岡市・平石博④
父を説得し、㈲グリーンを設立したのは、1984年(昭和59)。25歳のときです。法人化は、全国でもかなり早かったと思います。
国の補助事業で設立された岩塚生産組合が農業機械やライスセンターを所有したまま、グリーンは、同組合を傘下にいれ、組
父を説得し、㈲グリーンを設立したのは、1984年(昭和59)。25歳のときです。法人化は、全国でもかなり早かったと思います。
国の補助事業で設立された岩塚生産組合が農業機械やライスセンターを所有したまま、グリーンは、同組合を傘下にいれ、組織としての一体的な経営を担う会社という位置づけでのスタートでした。
これを機に、農業会計、稲の生育診断、圃場コスト分析の三つのソフトを弟と2人で独自開発し、経営基盤になる経理や圃場一筆管理のできる体制を整えました。
といっても、最初の3~4年は、データを把握できるようになったこと以外、それまでの機械利用組合とほぼ変わりませんでした。
そのうち、組合設立当初の組合員の方たちが高齢を理由に脱退されるようになり、徐々にグリーンを核にした経営体制への移行が進みました。
組合の理事長だった父も、会社設立の2年前に新潟県稲作経営者会議の会長になり、米の自由化をめぐる議論が激しくなった87年には、全国稲作経営者会議の会長に就任して農政運動で全国を奔走することになりました。
自然に農業経営の現場からは離れることになり、おかげでこちらは、父の干渉を受けず新しい経営体制づくりに専念できました。
余談ですが、設立から3年ほどは、弟も一緒に農業をやっていました。しかし、規模拡大が進まず、米価も上がらない中で、2人分の給料を出せる余裕はありません。
結局、弟はソフト開発が縁で知り合ったソリマチ㈱に入社。後に取締役になりましたが、今もグリーンの常務取締役を担うなど、ずっと会社経営に関わってくれています。
87年に特別栽培米制度が創設され、消費者との産直が可能になりました。この産直が、私の農業観を大きく変えました。
きっかけは、父が農政運動を通じて出会った首都圏の消費者団体との小規模な産直でしたが、これを機に、誰が食べるかもわからずJAに出荷していたそれまでの米づくりが、「食べてくれる人がいるから作る」と、自分の中でベクトルが180度変わったのです。
それまで嫌いだった農業が、がぜん面白くなり、そこから、顧客の方たちのニーズに応える形で、経営スタイルも変化していったのです。
構成 榊田みどり









