心を鬼にして 小説家・瀧羽麻子
この時季、近所のスーパーに行くと、決して見逃せない一角がある。
と書くと、本コラムを毎月しっかり読んで下さっている読者の皆さまは「ん? 山菜はそろそろおしまいでは?」と訝しく思われたかもしれない。そのとおり、今月の舞台は野菜売り
この時季、近所のスーパーに行くと、決して見逃せない一角がある。
と書くと、本コラムを毎月しっかり読んで下さっている読者の皆さまは「ん? 山菜はそろそろおしまいでは?」と訝しく思われたかもしれない。そのとおり、今月の舞台は野菜売り場から鮮魚売り場に移る。
あさりである。
何年か前に産地偽装が問題になって以来、ふだん並んでいるのは外国産ばかりだが、たまに国産が入荷する。中でも北海道産は大粒で食べごたえがあり旨味も濃い。輸入ものに比べると少々値は張るけれど、まれに出会ったら即刻かごに入れる。
家に連れ帰り、さっそく塩水に浸けて砂抜きする。あさりにとって快適な環境だとよく砂を吐いてくれる。濃度は海水と同じ約3%、水温は20度くらいがいい。彼らの気持ちになって考えれば、故郷の海へ戻ったようで心安らぐのだろう。容器には覆いをかけてやる。あさりは夜行性で、暗く静かなほうがリラックスできるらしい。
準備がととのったら、しばしじっと待つ。あさりたちの邪魔はしたくない。が、様子も気になる。覆いをそっとはずし、中をのぞいてみる。薄く開いた殻の間から、しどけなく身をべろんとはみ出させて、無邪気にくつろいでいる。無防備な姿がほほえましく、こっちまで心が和む。どう、気持ちいい?
彼らは口をそろえて答える。うん、とっても。
数時間後、みんなが砂を吐ききった頃合いをみはからい、わたしは心を鬼にして次なる工程にとりかかる。鍋に入れ、日本酒をかけ回す。あさりたちは殻を固く閉じ、ざわめいている。え? なに? 困惑の声には耳を貸さず、わたしは鍋を火にかける。悲鳴が響きわたる。熱い!
ごめんね。あさりの酒蒸しはわたしの大好物なのだ。鍋のふたを閉じると、断末魔の絶叫はとだえ、甘美な香りがキッチンに漂いはじめる。今日のあさりはいつにも増して元気そうだった。鼻歌まじりに、わたしはパセリを刻む。
◇次回は6月26日付








