ニガウリのおすそわけ プチ生物研究家・谷本雄治
ニガウリの種をまいてもなかなか発芽しなかった。これはまずいと思い、手元にあった種を次々とまいた。すると見事に芽を出し、何株も順調に育った。
気がついた時には、例年にない大豊作だ。毎日、数本は収穫する。さあ困った。連日のニガウリ料理だと、さ
ニガウリの種をまいてもなかなか発芽しなかった。これはまずいと思い、手元にあった種を次々とまいた。すると見事に芽を出し、何株も順調に育った。
気がついた時には、例年にない大豊作だ。毎日、数本は収穫する。さあ困った。連日のニガウリ料理だと、さすがに飽きてくる。その時、思ったものだ。たくさん取れたのだから、おすそわけすべきだよなあ、と。
昭和のある時期まではそれが当たり前だった。食べ物なら特に、家族では食べきれないからと隣近所に配った。するとそのお返しとして、別の何かが同じように届く。おすそわけは単なる物の移動ではなく、自らの困りごとの解消と相手へのささやかな貢献でもあった。
いまはどうだろう。都会では隣人との付き合いがほとんどないから、気軽に何かを渡すなんて、できそうにない。相手だって戸惑うだろう。
「少し食べて、助けてよ」
一計を案じて、久しぶりに会う友人にニガウリを渡した。次はいつ会えるかわからないので、お互いに気が楽だ。
ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんは、世界に「もったいない」を広めた。多くが感銘を受けたのは、限られた資源を生かすだけでなく、自然や物への感謝の気持ちも感じるからか。せっかく得た福を独占し無駄にしては、確かにもったいない。
「シェアする」という言葉を耳にする機会が増えた。そこには互いに楽しむ、得をするといった対等な関係性がうかがわれる。
「つまらないものですが」とへりくだる伝統的なおすそわけも良いが、「おかげで助かるわ」と言い添えることで、古い習慣に新たな息が吹き込まれるかもしれない。洋風の「シェア」を、日本風の新たなおすそわけにすればいいのだ。
なーんてことを、ニガウリ片手に考えた。
それにしてもこの暑さだ。残暑のおすそわけだけは、遠慮したいな。
◇次回は10月9日付








